コンペイトウブルーの明日

自律神経失調症になってしまった私の他愛のない毎日

四半世紀④

こんばんは、紫陽です。

さて、今夜で自分振り返りも第4弾。
そろそろ、完結するかな?と期待してます。

楽しかった高校生活の中で選び、勝ち取った進路は大学進学でした。
3年の夏に理系科目の成績が伸び悩んでいたため急遽文転を決意した私は、文学少女で通っていたこともあり、文学部を目指しました。
文学について調べ深めることにも興味はありましたが、それ以上に人間の中身について興味がありました。
そんな高校3年の秋のある日、よくポストに投函されてる地元の情報誌の特集で志望校候補に挙げていた大学の先生の記事が掲載されていました。
それが出会いであり、決め手でした。
店員と客の良い関係、悪い関係について、人間関係の構築について書いてありました。
それを読んだ私は、一も二もなく「この先生のゼミに入って先生の論文の続きを書きたい」と思いました。
そうと決めた途端、オープンキャンパスに足繁く通って、先生に顔を売り、志望の学科の先輩に話しかけモチベーションを上げ、文系の女子たちと争い蹴落として志望校の校内推薦枠を勝ち取り、苦手な英語を読まなきゃ解けないという小論文と毎日毎夜闘いました。
…とはいえど、本を読むことは控えられなかったのですが(笑)
12月中旬に合否発表があり、年内中に合格を手にし、母を悪夢から解放してあげられました(母は心配性なので不安すぎると、いつも安眠・熟睡している母じゃありえないくらい不眠がちになるほど悪夢で早朝に目を覚ましてました)。

そんなこんなで念願の大学の学部学科に入学した私は、入学後の学科の説明会の時にも入りたいゼミの先生のそばに座り顔を売り、単純接触効果を狙いました。

高校時代は
楽器吹いてー写真撮ってーキラキラしたキャンパスライフしよー♪
みたいなことを考えてたはずなのに、新歓が終わり気づけば、何故か学生団体 学友会の執行部に流れ着いていました。

…あれ、おかしいな。なんでこんなところに??写真部も入ったけど、全然作品撮りに行けないよ??大学の図書館、読みたい本少ないし……ナンジャコリャ。

そんな疑問符だらけなスタートでしたが、まぁ、文学少女を気取っていたただのインドアひきこもりなので、そりゃあ、せっかくそこそこのデジタル一眼レフ買っても外に出なけりゃ作品も増えないし、人見知りだから暗室に入るにも知らない先輩とは入ることもできず、部の雰囲気にも馴染めないまま、半年くらいで写真部を退部しまいました。

しかし、学友会の活動は何故だか続きました。
似たような傾向の人が割合として多かったからかもしれませんし、共通の趣味を持つ先輩が多く馴染みやすい何かがあったのかもしれません。
そのうち、1年生のうちに執行部の委員長を打診され、学内選挙に出馬することになるのでした。
ただ楽しくて、会議に出て、たくさん覚えて先輩に追い付きたくて力添えがしたくて、参加していただけだったつもりなので、未だに打診された理由は理解できずにいます。
任期が始まり、ゴタゴタして、終わってからも何故私だったのか分かりませんでした。
けど、選ばれたからには大したことは出来なくても、微力でも役に立たなければいけないなと思い、がむしゃらに前だけ向いて走り続けました。
心強い先輩方や同期の仲間たちの支えもあって、苦しい時期も一緒に乗り越えられたし、イベントも楽しくて嬉しくて、こんなことでいいのかな、と思うほどでした。
しかし、二期目に副委員長として執行部に残留するも、身体への影響が出始めていました。
講義が終わって部室に向かう時に胃痛がする、会議前に胃痛がする、会議中にレジュメのダメ出しくらって胃痛がする。
そう、全部ストレスが胃にきてたんです。
そして、3年生の秋、ついに胃痛がMAXに到達し、ある日の会議終了後、部室に戻る途中にうずくまって動けなくなりました。

その当時付き合っていた今の婚約者が、私の姿がないことに気づき、電話をかけてくれ、応答するも声にならず。
メールで居場所を教えると、真っ先に「病院行くよ」と言われました。
医者嫌いな私は、こんなに苦しいのにそんな追い打ちかけんでええやん!と思わず考えましたが、替えがいないバイトにも行かなくてはならなくて、その日は病院には行けませんでした。
何故だかバイト中は痛みも和らぎ、平気だったのですが、自室に戻ると激痛が走り、「明日は病院行こう…」と決心せざるを得ない状況でした。
しかし、翌日病院に行っても、炎症が少し見られただけで穴が開いていたわけでもなく、精神的なものではないかと診断されました。
多分、この頃から自律神経失調症が姿を現しはじめていたのかもしれません。

まぁ、この胃痛事件が起きるまでにも、実は執行部の摩擦や個人的なトラブル、学友会としての大きな難題など多くのことを抱えていた時期ではあったので、ストレスと診断されたことに疑問はあまり感じませんでした。

その後、二期目の執行部での役割も終え、少しずつ自分のための時間を増やせるようになりました。

まずは思いきり、念願のゼミに入れた喜びに浸りながら、全力でゼミの課題に取り組みました。
大学に入りたかった最大の理由であり目的だったからです。
勉強はとても楽しかったですし、ゼミの仲間とも付かず離れず良い関係性を築けたと思っています。
卒論も無事に先生の論文の延長線上にある論点で書き上げることもできました。

そして、4年生になる頃に、運転免許証を取得して、夏には司書講習を受け司書資格を得ました。
司書資格のくだりはまた後日。

そんなこんなで、無事に卒業条件の単位数を気づけば余裕でクリアして卒業することができました。

けど、1つだけ後悔していることは、この4年間、実は1度も楽器のために身を費やせなかったことです。
遊び程度に大学の側の老人ホームに慰問に行ったら、ボランティアなのにお金をもらってがっかりして以降、楽器を吹く時間を大切にできませんでした。

そうこうしているうちに、私のことを怒鳴りながらも愛情を持って熱い指導してくれた師匠は病に臥し、帰らぬ人となっていました。
こんなことなら、大学に入ってからも通い続ければ良かった…と悔やんでも悔やみきれない気持ちが今も胸の辺りにしこりのように残っています。

そして、就活で第一志望に最終面接で落とされた直後に受けた中小企業に就職し、総務として今も働いています。
それなりの収入なので、今ではフルートを通いに行く余裕もあります。

それにしても、就職の面接では相当ハッタリもかましました。
司書は狭き門だけど諦めたくないし、その職を得たら内定を頂いても蹴ります、とまで言った面接は後にも先にも今の職場だけです。
よくこんな小娘を雇ったものです。
社長や他の役員の審美眼、どうなってるのか…
そして、本社研修を終え、現在の勤務地に飛ばされてから、相性の悪い、総務の器とは到底思えない上司の元で仕事をし始めてから約1年で自律神経失調症が要因としてあるうつ病になりました。
今もまだ投薬中で、本もまともに読めません。
ざっと見で職場の書面程度なら読めますが、一冊の本を読もうとすると、目が拒否します。文字が入ってこないのです。
病気についてはまた、じっくり向き合いながらまとめます。

さて、そんなこんなで、四半世紀をざっとおさらいしてみました。
なんとなく、まとまったでしょうか。
明日は、元気があれば雑多なことを書いてみようと思います。

それでは、今夜もお付き合いいただきありがとうございました。